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武漢市の名所長江 長江は、全長6,300kmの世界第3位の長さを誇る河川です。日本では「揚子江」の名で知られ、古くから水上交易が盛え、その中心的交通路として利用されてきました。現在では、流域の成都、重慶、武漢、南京、上海など多くの都市がめざましい経済成長を遂げ、華中地域はおよばず中国の経済発展を支える大河となっています。
■ 武漢東湖プロジェクトのページへ戻る 東湖 東湖は、武漢市の東郊外、長江の東沿いにある湖で、流域のいくつかの湖が集まって構成されています。湖一帯は東湖風景区として指定され総面積73km2もあり、都市にある湖としては中国でも最大規模です。緩やかな丘陵地帯に囲まれて、湖面が広く、多くの川が注ぎ込んでいることから湖岸は入り組んでおり、昔から99湾と称されています。魚類も豊かで18科67種が生息し、武昌魚(ウーチャンユイ)は地元の名物料理にされる有名な魚です。
東湖基本情報
■ 武漢東湖プロジェクトのページへ戻る 黄鶴楼黄鶴楼は、長江第一橋を見下ろすように建てられた楼閣で、岳陽楼(湖南省岳陽)と滕王閣(江西省南昌)と並んで江南三大名楼といわれています。三国時代の233年に建てられてから1700年の間、数多くの詩人や文人墨客がこの楼閣を題材に作品を作っています。現在の楼閣は、清代にあったものをモデルとして1981年に再建されたもので、高さ51.4m、4階建て、楼閣の周りは公園として整備され、武漢市の観光名所となっています。
黄鶴楼は中国の代表的な詩人、李白と崔顥(さいこう)が訪れたことでも有名です。崔顥の代表作「黄鶴楼」は、後に李白が黄鶴楼に登ったとき、楼壁に書かれたこの詩を読み、「これ以上の詩は作れない」と言ったと伝えられています。
黄鶴楼 (崔 薮) 意味:昔ここを訪れたという伝説の仙人は、黄色い鶴に乗って去ってしまい、この地には黄鶴楼だけが取り残されたようにあるばかり。黄鶴は仙人を乗せて一たび飛び去ったあと二度と帰って来ることはないが、白雲だけは 千年経った今も昔と同じように、悠々と大空に浮かんでいる。晴れわたった長江の対岸に、漢陽の街の木々がはっきりと見え、中州の鸚鵡州では春の美しい草花が生い茂っている。昔を偲ぶうちに日が暮れてきた、我が故郷はどの方向にあるのだろう、見やれば、川面に夕靄がたちこめて、望郷の愁いはつのばかりである。
黄鶴樓送孟浩然之廣陵 黄鶴樓に孟浩然の廣陵に之くを送る 意味:故人が西にあるこの黄鶴樓を辞して、花煙の春三月揚州へ向かって川を下っていく、船の影は遠のいて碧空の中に溶け込み、ただ長江が天と地の間に流れていくのが見えるのみだ。 黄鶴楼にはいくつかの伝説があります。むかし江夏郡の辛氏という人の酒屋に、ある日ひとりの仙人が現れました。酒を乞われるままに主人は大杯で飲ませました。それ以来半年ほどの間主人は嫌がらず、タダで酒を飲ませ続けました。ある日、仙人は主人に向かい、酒代がたまったが金がないと言い、お礼に店の壁に黄色い鶴を描いて立ち去りました。ところが不思議なことに、酒を飲みに来た客が手拍子を打って歌うと壁の鶴が踊り出し、たちまち評判となって店は大繁盛、十年ほどの間に辛氏は百万長者になりました。ある日ひょっこり例の仙人が現われ、笛を取り出して吹くと、空から白雲が舞い降り、黄鶴が壁から抜け出して来ました。仙人は鶴の背にまたがって白雲とともに飛び去りました。辛氏は楼閣を建て黄鶴楼と名づけて祈念しました。
■ 武漢東湖プロジェクトのページへ戻る 漢街
水果湖は、東湖子湖で従来は、ほぼ閉鎖性となっていて水質汚濁が問題となっていた場所です。当初はこの水果湖で水質実証を行う予定でしたが、楚河造成工事中だったため変更となりました。水果湖と東湖の間の橋の辺には洪水のモニュメントがあり、古くから洪水の被害に遭っていたことがうかがわれます。
沙湖は、長江と東湖の間に位置していますが、従来観光地化していなくて、湖に近づく道も整備されていない場所でした。ところが、長江隧道と沙湖大橋の開通によって、姿を現しました。沙湖の長江側にはマンションが建ち並び、東湖側は「漢街」に代表されるように開発が進みます。
楚河沿いにあるショッピング街には、若者を対象とした世界のブランドショップが軒を連ねます。まだオープンしているのは3割程度でしょうか?全ての店が完成してからオープンではなく、できた店からオープンするのが中国流です。日本の代表「UNIQLO」はすでにオープンしています。
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